こんにちは きみこです。
今回は「ラッセラーラッセラー ラッセラッセラッセラー」
でお馴染み青森ねぶたをご紹介します。
きみこは青森市民。なので、ねぶた祭りには幼少期から参加しています。
あっ、ここ何年かは…参加出来ていないな。(;´・ω・)
跳人参加じゃなくて、違うねぶたの楽しみ方を覚えたよねぇ
ねぶたの楽しみ方?どんな楽しみ方なの?
ねぶたの楽しみ方は十人十色。
最近は、ねぶたの撮影かな。
本来、青森ねぶた祭は「港まつり」でした。
ねぶたの家ワ・ラッセの入場券にプリントされている棟方志功さんの絵にも描かれています。
青森ねぶたのイメージってどんなのでしょうか?
跳人の乱舞と威勢の良い掛け声、大型ねぶたの迫力、お囃子の音色ではないでしょうか?
そして青森市民だってあまり知らない「ラッセラー」の意味もご紹介しますよ。
そんな青森ねぶたの歴史や、運行ルートなども見ていきましょう。
この記事は 以下のような方のオススメです。
・青森ねぶた祭りラバーさん
・観光で青森ねぶたを見に来たい方
・ラッセラーの意味を知りたい方
・毎年作られるねぶたのその後を知りたい方
・日常で使える津軽弁を知りたい方
ラッセラーってどういう意味?
かつて「出せ、出せ、ロウソク、出せ…」というかけ声がありました。 江戸時代には、全国的な眠り流し行事の掛け声(唱え言)である「ねむた流れろ、豆の葉とまれ」が、青森でも囃子ことばとなっていました。悪いものは流れよ、良いものはとどまれ、ほどの意味があったらしいです。
引用元:青森県史の質問箱
「ラッセラー」は戦後に調子が変化してからの掛け声で、それ以前は「ラッセ、ラッセ」「ラセ、ラセ」というものでした。県内の下北や津軽各地のねぶたを引いて歩くときの昔の掛け声には、「出せ、出せ、ろうそく出せ、出さねばかっちゃくぞ」というようなものがあったといいます。
断定はできませんが、全国的にも知られるようになった「ラッセラー」は、ろうそくやお菓子などをねだった「出せ、出せ」と無関係ではないだろうと考えられます。
昔は子供の七夕まつりがきっかけでねぶたが始まったこともあり、子供たちがハロウィンのように各家庭を回ってお菓子やねぶたのロウソクの寄付を募ったときの掛け声が変化したようですね。
「出せ、出せ」→「ラセ、ラセ」だいぶ遠く感じるけど時代と共に変化はする。ってことですな。
因みに「出せ、出せ、ろうそく出せ、出さねばかっちゃくぞ」の「出さねばかっちゃくぞ」とは…
「出さなきゃ ひっかくぞ」という意味です。津軽弁なんです。
ねぶたに欠かせない跳人(ハネト)についてはこちらの記事も↓
1.青森ねぶたの歴史
青森ねぶたが文献に出てくるのは天保13年(1842年)今から約180年前「柿崎日記」に
記述されているそうです。
凶作が続いていた後に、子供たちだけの七夕祭りが行われたことが大きなねぶた祭りとなるきっかけでした。
弘前ねぷたと同様、本来は大人が町内単位でねぶたを出していたようです。
7月に行われることから、七夕祭りとしてねぶた祭りは行われていたのですね。
なるほど、五所川原の立佞武多には「雲漢(うんかん)」と書かれています。
これは「天の川」というの意味。七夕祭りだったなごりかもしれませんね。
一方で、祭りに喧嘩が絶えない…などのことからねぶたは悪しき風習とみなされ、
一時はねぶた禁止令が出たんですって。しかも約10年間も。
そんなこともあったんだべねぇ。
お祭りってなんでか喧嘩があるよね~
ねぶたは明治維新とともに年々大型化されていき明治、大正時代と発展し続けますが大正2年には大凶作の影響で祭りでの運行台数は激減。
ねぶたの大きさも少し小さくなることもあったそうです。
ですが昭和に入ると、ねぶたは大型化していきます。
そのため電線を持ち上げるサスマタを持った人もいました。
昔はねぶたの照明が今とは違いロウソクだったため、運行中に火事が起きた時に対処する人もいたのだとか。
ねぶたが大型化したことで、昭和初期にもいた電線を持ち上げる人は青森市内の電線が
地中に埋まる前まで見られた光景なの。懐かしいぞ!
ほんだ (そうだ)ちょっと前まで電線あったものねぇ
・ねぶた祭りではなくて「青森港祭り」だった
青森市内は昭和20年7月の大空襲で消滅的な被害を受けました。
当然ねぶたを出せる状況にないですね。
柳町には今も空襲で被害にあった方の供養塔が観音様と共にあります。
食べることもままならかなった青森市民は昭和21年にはねぶたを復活させます。スゴイッ!
昭和22年には「戦災復興港祭り」など規模も拡大して催し物が行われていたそうです。
その催し物の最終日が8月7日(ナヌカビという)旧暦の7月7日にねぶたの海上運行が行われ、
青森市民を熱狂させていたのですね。もちろん花火大会も!
昭和33年に青森市は市制60年を迎えたことを機に「青森港祭り」が「青森ねぶた祭り」と名称を変え今に至ります。
※昭和38年には青森市の無形民俗文化財に指定、昭和55年には国の無形民俗文化財に指定されています。
・ねぶたを間近で観る、知る
JR青森駅近くには、ねぶたの家ワ・ラッセという施設が有ります。
駅近!です。
赤茶の外観が目印
ここでは、大賞をとったねぶたが5台ほど展示してあります。
1年ごとに入れ替えとなりますので、前年のねぶたを見たい方は是非入れ替えとなる8月7日までに行ってみて下さいね。
ワ・ラッセでは時間によってねぶたのお囃子も生で聞けて、花笠を付けて跳人体験も出来ますよ。
また、ねぶたの歴史やねぶた師さんの紹介もあり、写真撮影し放題でめちゃくちゃ楽しめます。
※ねぶたは5月吉日にねぶた小屋にて製作が始まるのです。
それから、3か月間(7月末頃まで)でねぶたが完成します。
・ねぶた造りの工程は
下絵→骨組み→魂入れ→電気、配線設置→和紙張り→書割り→ロウ付け→色付け
すごい工程ですよね。
ワ・ラッセでは以上のようなことが間近で観ること、体験や体感が一度に出来るのでオススメです。
2.ねぶたの見方と運行コース
ワ・ラッセで紹介したねぶたは一周ぐるりと見らますが、いざねぶた祭りで練り歩いているときは
どうやって見られるでしょうか?
まずは祭りでの構成を少しご案内
ねぶたは企業、又は団体ごとでねぶた師に依頼されて作られます。
構成としては↓
1. | 跳人(ハネト) |
2. | お囃子方 |
3. | ねぶた本体 |
ねぶた本体を動かす人(曳手:ひきて)がいて、ねぶたを先導する人(扇子持ち:せんすもち)がいます。
その扇子持ちがねぶたを先導し動きを出し、観客にねぶたを迫力いっぱいに見せてくれるのです。
そして、盛り上げてくれるのはお囃子(囃子方:はやしかた)です。
もちろんハネトがいてまた最高に盛り上がるんですよ!
「ラッセラーラッセラー ラッセラッセラッセラー」
整えた髪型にねじり鉢巻、半被姿。
夜の薄暗さも相まってカッコイイです。
ハネトと一緒にラッセラーラッセラー!!
お祭りマジック恐るべし
・ねぶた運行コース
ねぶた観覧は基本的にコースが決まっています。
JR青森駅正面の新町通りから、ホテル青森のある平和公園通り、市役所のある国道4号線を通り
八甲通りの全長約3.1kmコースです。
約2時間かけて運行ルートを一周してその日の運行は終了となるのですが、2022年は毎年のルートとは逆にまわります。
そして本来の配置された場所から一斉にスタートではなく、スタート地点から次々に出ていく吹き出し方式(左回り)となるので、観覧している所へねぶたが現れるときのワクワクがたまりません。
ただ、この吹き出し方式はルートの最後のほうはねぶたが姿を現すまで1時間位かかるので早めに盛り上がりたい方は新町通での観覧がオススメ!
お仕事でスタートの時間に間に合わない!という方には運行ルートの最後のほうで観覧がオススメですね。
これはじゃわめぎポイント!だねぇ
2023年スタート地点は2日、3日が、青森協働社ビル前から出発
4日~7日までが柳町通り交差点(新町通入り口あたり)から出発です。
観覧席は有料観覧席(桟敷席、歩道に設置のパイプ椅子席)、があります。
ゆっくりご覧になるには観覧席がオススメです。
※新型コロナ感染防止のため、今までとは観覧の仕方に違いがありますのでルールを守って
観覧しましょう。
詳しくは青森ねぶた祭実行委員会のHPでご覧いただけます。
プチ情報1
跳人が落とした衣装の”鈴”は拾うと幸福になるのだとか?!
探してみてぇ~
鈴は拾ってくださいね。浴衣から引っ張るのはダメだよ!!
鈴拾いに夢中になってれば、おっける(転ぶ)から気を付けよう。
・ねぶたの写真はこう撮る
写真の撮り方は人それぞれですが、前進してくる、回る、角度を変えて迫るねぶた
展示と違って躍動感のあるねぶた。
私は、動きに合わせてカメラを構えます。
ねぶたは明るいので夜景モードとかは使わないのがいいかもしれません。
せっかく、扇子持ちがねぶたの迫力を見せるため場所によっては回転させてくれるので、ド迫力の
ドアップ写真が撮れます。
ねぶたの送り絵も物語があるので、送り絵も撮影してみましょ。
ゆっくり、動いていないねぶたを撮影したい!という方はラッセランドでの撮影がオススメです。
練り歩き終えてねぶた達はラッセランドという、ねぶた小屋に収納されます。
※ラッセランドは青森観光物産館アスパムの西側駐車場から裏手にあります。
ねぶたが小屋に戻ると近くで写真撮影できます。ただねぶたが小屋に収められるときは邪魔に
ならないように注意しましょうね。
3.ねぶた祭りその後
ねぶた祭り最終日の7日は花火大会が夕方から行われます。
大賞を受賞した4台が海上運行されます。
・製作されたねぶたのゆくえ
ねぶたはお祭りが終わると大賞をとった5台がねぶたの家ワ・ラッセに展示されますが、それ以外の
ねぶた達はすぐに取り壊されてしまいます。製作期間が約3か月もかかるのに儚いのです。
現在は、解体時にはがしたねぶたの和紙を素敵なランプシェード、ポチ袋、剥がした和紙そのもの
が販売されたりしています。
ねぶたの和紙で手作りの団扇とか、手帳の表紙なんかを作ってみるのもいいかもしれません。
記念になります。
4.まとめ
【ラッセラー】ってどういう意味?青森ねぶたの歴史や運行ルートもご紹介では
・ねぶたの歴史では
ねぶたは七夕祭りだったことや、大型化してきたこと
間近で観られる施設ワ・ラッセの紹介
・【ラッセラー】ってどういう意味?では
「出せ出せロウソク」というのが起源だったこと
・ねぶたの見方、運行コースでは
ねぶたの運行コース観覧コース、写真撮影のこと
・ねぶた祭りのその後
ねぶたの儚さ、再利用のこと
・日常会話で使える津軽弁「かっちゃぐ」「おっける」をご紹介しました。
ねぶたの歴史を知ると、沢山の危機や大飢饉やらがあって今に至ることがわかりましたね。
現在のねぶた祭りは沢山のハネトとねぶたのお囃子、何よりも製作したねぶた師さんの熱も伝わってくるようです。
今年も沢山の方に楽しんでもらえたらと、心から願います。
この記事が少しでも、読んでいただいた皆さんのお役に立てれば幸いです。
ぜひ、ご自分の楽しみ方をみつけてみて下さいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また、お会いしましょう。 へばねぇ~(またねぇ)
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